日本の人権の歩み

 日本で人権の概念が形成され始めたのは、近世の江戸後期と言われています。 江戸時代は、公家・武士・僧侶・町民・農民などの身分が作られ、約300年間もの長い間にわたって続き、非常に厳しいものでした。しかし、人々がその不合理に目覚め、様々な抵抗運動を重ねるようになり、幕藩体制も15代将軍慶喜を最後に大政奉還がなされ、日本の歴史の上で大きな変革の時代といわれる明治維新を迎えます。

 西洋の近代的思想や制度も導入され、過去の封建的思想や制度が批判される傾向も強まる中、1871(明治4)年、新政府は「解放令」を発し、身分制の撤廃を宣言しました。しかし、この「解放」は法律上で身分制度をなくしただけの単なる形だけのものにすぎませんでした。差別を受けてきた人達が、差別や貧困から解放されるために必要な条件整備や保障は何も行われなかったのです。そればかりか、解放令の翌年に作った統一戸籍(壬申戸籍)の中には廃止されたはずの古い身分が「新平民」と一部記載され、被差別部落出身者への差別は残されました。

 大正時代になり「デモクラシーの時代」が来て、西欧の自由平等や人道主義の思想が盛んになり、国民の間にもその様な風潮が広まって人間解放の運動も高まってきました。1922(大正11)年3月3日、被差別部落の人々が部落差別をなくすために「全国水平社」を創設しました。ここで採択されたのが「水平社宣言」です。この宣言は「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と謳い、日本における最初の人権宣言とも言われています。