東日本大震災を忘れない

 2011年3月11日14時46分。その日、中学校の卒業式に出席した後、遅い昼食をとっていた。隣の職員室で先生たちがTVを見て騒いでいる。モニターには仙台空港が津波で飲み込まれる様子が映っていた。「これは何かのドキュメンタリー番組ですか?」と、近くにいた先生に尋ねたら「ちがいます。さっき大きな地震が仙台近くで起きて、今、津波が空港に押し寄せているんです」と言ったので、これは大変なことが起きたんだと体が震えた。息子が出張で仙台市に行っているのも気がかりだった。

 三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震だった。死者は1万9747人、行方不明者は2556人、全壊した家屋は12万2005棟。発災直後の避難者は約47万人、仮設住宅などの入居は最大約12万4000戸。現在も3万8139人の方々が避難生活をされている。12年経ったが被災者や被災地の復興はまだまだ遠い。息子は無事だったが、当時の恐ろしい光景を話してくれた。地震は現在を津波は過去を放射能は未来の私たちの生活を奪った。