自分が楽しんでこそ、人もする

 田村一二さん(1909~95年)は、『障害のある人はいても、障害者はいない』という考え方を基に、誰一人として変わりのない尊い命を与えられた一人の人間は『差あって別なし』を理念とする「茗荷村」を創設された人です。

 ご自身の子どもがまだ小さかった頃、履物を揃えないのでどうしたものかと悩んでいると、ある先生から「「しつけとは、自覚者が、し続けることだ」と教えられ、一向に揃えない子どもを叱ることもせず、ひたすらそろえ続けたところ、いつしか無意識のうちに、「さあ、きれいに並べるぞ」と楽しみにしている自分に気づいたそうです。

 さらに続けていると、そういう心の動きさえも忘れてしまい、ただただ履物を並べるのが楽しみになってしまい、はっと気づけば、何と子どもたちもきちんと履物を並べて脱ぐようになっていたそうです。

 「口先だけで人にやりなさいと言うだけでは、誰もついてきません。何事も自分が楽しんでやってこそ、人もついてくる」と、田村一二さんは語っておられます。特に子どもは、他者から「見られ、認められ、あてにされる」ことで成長します。

凡庸な教師はただしゃべる。
良い教師は説明する。
優れた教師は自ら示す。
偉大な教師は子どもの心に火をつける。

 これは、ウィリアム・アーサー・ワードの有名な言葉です。