同和教育と人権教育の関係
同和教育と人権教育の関係は、「包含(ほうがん)関係」にある。歴史的に、日本固有の重大な人権問題である「部落差別(同和問題)」の解決をめざして発展してきた同和教育が、そのノウハウや理念をベースとしつつ、あらゆる差別問題(女性、障がい者、外国人など)を広く扱う人権教育へと発展してきた。
1. 「全体(人権教育)」と「一環(同和教育)」の関係性
文部科学省をはじめとする行政や教育現場では、「同和教育は人権教育の一環である」と位置づけられている。人権教育は、人類普遍の原理である基本的人権の尊重をめざし、あらゆる差別の解消や個人の尊厳を守るための総合的な教育活動である。一方、同和教育は、人権教育が扱う様々な個別の人権課題(女性、子ども、高齢者など)の中でも、日本独自の歴史的背景を持つ「部落差別の解消」をめざす教育である。
2. 歴史的な発展プロセス
学校教育において、人権に関する取り組みは以下のように移行してきた。
• 1950年代〜2000年頃(同和教育の時代)
戦後、深刻な部落差別や劣悪な生活・教育環境を打破するため、「差別の現実に深く学ぶ教育」として同和教育が全国で強力に推進されてきた。学力保障や進路保障、差別に対抗する仲間づくりなど、極めて実践的な教育手法が築かれてきた。
• 2000年以降(人権教育への移行)
2000年に「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」が制定されたことや、2002年の「同和対策特別措置法」の終了に伴い、これまでの同和教育で培われた成果を包括的な「人権教育」へと引き継ぐ形にシフトした。
3. 同和教育は人権教育に発展
人権教育は、同和教育が積み上げてきた指導方法に強く支えられている。①「差別してはいけない」という綺麗事ではなく、差別の現実に深く学び、知識に留まらず、社会的な差別の仕組みや当事者の痛みを自分のこととして捉えること。②単なる「仲良し教育」ではなく、差別をなくすための仲間づくりや「いじめ」などが起きないよう、互いの人権を尊重し守り合える集団づくりを行うこと。③理不尽で不合理な差別に気づき、それを変革していく主体(行動力)を育てること。④自身の差別意識をふり返り、日常生活の中で人権擁護のために行動できる力を育てることなどである。
現在の教育現場では「同和教育」という名称から「人権教育」と言い換えられることが増えたが、部落差別の解決抜きに、日本の人権教育の完成はない。同和教育は人権教育の「ルーツ」であり、その確固たる「中核(柱)」として今も脈々と受け継がれなければならない。
4. 「魚」と「さかな」の関係
世の中に「さかな」という名前の魚が泳いでいないように、人権教育という「一般的な」名称の教育は存在しない。つまり、同和問題の解決をめざす人権教育こそが同和教育である。抽象的な「人権」を語るのではなく、部落問題という具体的な差別の現実を解決する取り組み(=同和教育)の中にこそ、人権教育の本質がある。
5. 「火事」と「防火訓練」の関係
同和教育と人権教育の役割の違いや必要性を、火の扱いに例えれば、 同和教育は「消火活動」だ。人権侵害という「火事(差別の現実)」が実際に起きているからこそ、それを消し止めるために行われるのが同和教育である。人の痛みを自身に引き寄せ、「自分の家が燃えている」かのような当事者意識を持って動くことが重要である。
また、実際に火災が発生していなくても、日頃から差別(火災)が起きないように正しい理解や態度を育むための教育である。同和教育は人権侵害という「火事」を解消するために推進されてきたものであり、その歴史の中で培われたアプローチこそが、現在の広範な人権教育を発展させてきた「人権教育の典型(モデルケース)」である。
差別という不条理な人権侵害(火事)をなくし、誰もが「健康で、豊かで、安心して安全に過ごせる社会」をつくること。その人権力を育むために必要なことは、堅苦しい知識ではなく日常生活における「好感・共感・親近感」という温かい視点が、同和教育の根底にある。



