夏休みの宿題
子どもにとって夏休みの宿題は苦である。近頃は、大学生にも「夏休みの課題」が出される時代だ。出すほうは「長期の休みだからこそ学習習慣が乱れないように、1学期の学習が定着するように」という温かい善意の気持ちで「膨大な宿題」を課す。出されるほうは「せっかくの休みなのに」と不満が膨らむ。
小学1年の孫娘は、覚えたての自転車に乗って汗だくで毎朝9時にやってくる。「朝の涼しい内に、じぃじとおばぁばん宅へ行って、宿題をやってきなさい!」とのママの命令に逆らえない。宿題の中身は、今も昔も漢字・計算ドリルに読書感想文や貯金箱などの工作、そして日記や書道に天気の記録と自由研究である。子どもにとって、この自由研究が悩みの種だ。「自由」の二文字に何をしてよいやら「不自由」を感じる。
そんな朝、知り合いのAさんが家庭菜園で獲れたスイカを持ってきてくれた。大きく立派なスイカだ。自由勉強は、これで決まった!大きなスイカの絵を描くことになった。孫娘は好物のスイカを早く食べたいので、休むことなく前歯のない顔で日焼けした両腕で巨大スイカを抱える絵を一気に描き終えた。ちなみに子どもの頃の私は、8月31日に「一夜漬けで仕上げる」のが定番だった。なので、2学期の始業日は眠たくてあんまり記憶にない。